Samurai Journal of Chemistry

科学に関わる事を議論していく(コメントによる議論大歓迎)

【議論】私たちはなぜ有機化学を学ぶのか

有機化学を学んだ先に何があるのか

 

淡々と合成研究をしていると、自分がやっている研究が将来世の中にどのような影響をもたらすのか、と”ふと”感じることがある。

 

例えば、私が大学院生時代に専門としていた天然物の全合成という分野の必要性は度々議論されてきた。

 

NatureやJACS誌にその議論が大々的に取り上げられるほどだ。

 

Chemistry: Why Synthesize?, Nature 2015, 528, 327.

Natural Product Total Synthesis, J. Am. Chem. Soc. 2018, 140, 4751.

 

 

 

有機合成化学には大まかに分けて、

・天然物の全合成

・新反応の開発

 

という二つの研究ジャンルがある。無論、全合成化学者も新たな反応を開発して合成に応用するし、反応開発屋も開発した反応を医薬品の合成に応用したりする。

どちらも分離しているわけではなく、どちらもできないといけない事である。

 

しかし、天然物合成を主とする研究室の方が研究資金を持っていない事が多い。度々その研究意義が超有名誌で議論される天然物合成は、「時間がかかる」「お金がかかる」「お金が取れない」「学生の気力が持たない」などの理由で倦厭されがちだ。反応開発は研究スパンが短く、論文も沢山でて業績になり、研究資金獲得にも有利であることは間違いなく、人はそちらに流れがちな傾向にある。

確かに、複雑な構造を持つ難関天然物を合成しても医薬品になるわけではないし、もし活性が高い事がわかっても実用的な量が供給できる合成がなければ医薬品にならない。製薬会社のように高活性化合物のみにターゲットを絞って研究しているわけではあるまいし、アカデミアで天然物合成を本気でやってもそれが直接世間の役に立つことはほぼないのだ。

 

 

さて、ここまで天然物合成のネガティブな面をつらつらと書いてきたが、ではなぜ議論するに値するのか?

なぜ化学者は天然物の全合成研究を続けるのか?

 

 

一般的に言われる最もらしい理由は

1. これまでに合成例のない複雑化合物の合成研究を通して、新たな反応の開発により現代の有機合成化学では困難であった骨格を構築できるようになるから。

2. 単離・構造決定された天然物の実際の構造や立体化学が正しいことを証明するため。

3. 学生の教育のため。

 

 

 

これは合成をする意義として非常に的を得た説明であり、正しい。

私はさらに以下の点を付け加えたい。

新たな主張ではなく、3をより掘り下げた内容である。

4. NMRチャートの解析力が伸びる

5. 精製方法に詳しくなる。同時に分析方法に詳しくなる。

6. 問題解決に向けたアルゴリズムを組み立てる思考力が育つ。

7. 強靭な忍耐力を手に入れる事ができる。

 

 

近年、特に某会社での過労死事件以降、ブラックラボへの世間からの眼差しはより一層厳しくなった。天然物合成は非常に時間がかかるため、基本的にどこもブラックと呼ばれるのが常なのだ。しかし、学生の時代にたゆまぬ努力をして全合成を達成した人たちは、様々な点において非常に有能な人材であると言える。

採用しても数ヶ月で期待されているほどの仕事ができず会社を辞める若者が多いという報道をよく目にするようになった。このような一般的な問題も、有機合成出身の化学者にとっては全く関係のない問題となるといっても過言ではないと思う(当然個人差はある)。

また専門技術の観点からしても、合成屋が減少する一方、高い合成力を持った人材を多くの研究機関や会社が欲しがっている。なぜなら、製薬会社や香料会社などでは、難しい反応が仕込めることではなく、実際に目的の化合物を取ってくる事ができる人材を求めているからだ。特に近年アメリカの企業は、全合成を経験した"合成ができる化学者"を喉から手が出るほど欲している。

 

 

 

ここまで天然物合成の良し悪しを書いたので、次は、

化学全体の中の有機合成化学の位置付けを考えてみよう。

 

現在注目を集めている化学分野は、医薬品開発分野マテリアルサイエンス分野である。マテリアルサイエンスというと幅は広いと感じるが、具体例を挙げると有機ELカーボンナノチューブ、半透膜やイオン交換膜(フィルターなどの用途)、有機太陽光電池、などである。

 

この中で有機合成化学がダイレクトに関わるのは医薬品開発であることは言わずもがなだ。しかし、医薬品開発は合成力だけでは達成できない。生物化学の知識も必要となってくる。つまり医薬品開発とは、有機合成とケミカルバイオロジーとの融合分野である。生物化学的な実験手法、解析法などは有機合成をやっているだけでは身につかない。

マテリアルサイエンスのほとんどは、巨大なπ共役系分子やポリマーを扱うので、小分子合成の知識は役にたつものの、それだけでは上手くいかない。つまりマテリアルサイエンスとは小分子合成と巨大分子合成との融合分野である。出来上がったモノの物性評価やデバイス化の手法も重要となってくる。

 

 

つまり何が言いたいかというと、純粋な有機合成だけではダメなのだ。有機合成を使って革新的な発明をしようと思うと、他の分野との融合つまり学際的な研究が欠かせない。

 

 

ここで強調したいのは有機合成を学ぶタイミングである。バイオロジーを勉強して社会に出てから有機合成を勉強すれば良いか?ポリマー合成を勉強してから有機合成を勉強すればいいか?

否、有機合成の実験技術というのは一長一短で身につくものではないし、職人技的な要素がかなり大きい。有機合成をやっていた人が他分野に移ることはできるが、他分野から有機合成に移るというのはかなりしんどい。

つまり、有機合成→バイオロジーorマテリアルサイエンスというキャリアを積む事が、両刀使いになる唯一の方法なのだ。

 

当然片方だけで悪いというわけではないが、有機合成の知識があると、『新たな分子設計と合成』が可能なのだ。これは合成を経験した人しかできない。有機合成を知らない人は、市販の原料に頼るのみで自分で新たな構造を生み出すことはなかなかできないのだ。また、某企業のポリマー屋さんに聞いた話だと、新規物質の開発に際してポリマー化反応に問題があった時、有機合成の知識を持ち合わせていないので反応機構をベースとした解決法の提案がほとんどされないらしい。いわば有機合成は最も微視的な合成化学なのだ。また、電池や有機ELなどのデバイス屋さんは、例えば有機分子を基盤に積層する技術によって実用的なデバイス(研究の最終出口)を作るわけだが、有機分子の設計には長けていない。どのように有機分子に官能基を導入すれば機能が向上するかなど、微視的な視点ではモノを見ていない。

ポリマー屋さんやデバイス屋さんの例を挙げたが、有機合成力がなくても十分に活躍できるのだが、『革新的分子設計』をできる人材は有機合成力も兼ね備えている。

 

 

 

 

そして最後にもう一度議論したいのが、最初の話題に戻り、

 

全合成と反応開発の比較(2nd round)

である。

全合成で求められるのは、多段階で複雑な化合物を合成する力。

反応開発で求められるのは、新たな反応の提案力とデザイン力。

 

とでも言えるだろうか。これまでも述べてきた通り、全合成屋か反応開発屋かということは、化学全体で見ると大きな違いはない。どちらも有機合成化学なのだ。

 

しかし、両方ができるのと片方しかできないのとでは大違いである。

新たな分子をデザインできて、それが効率よく合成できて完成なのだ。つまり、反応開発は有機合成の上流部分(基礎)であり、全合成は下流部分(応用)と言える。

 

結論、全合成と反応開発は比較すべき対象ではなく、お互いがあるから、それぞれが成り立つ

 

全合成屋さんは、合成を通して反応開発のスキルを磨き

反応屋さんは、触媒合成を通して多段階合成のスキルを磨く事ができる。 

論文は満遍なく読むべきで、より多くの全合成論文、反応論文を読むべきだろう。

 

そして最終的に学際的分野に踏み込んでいく。 

これが理想の形なのではないかと思います。

 

 

今回の記事はこれで終わりにします。また心境の変化だったり、新たに感じた事があったら記事にしようと思います。